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隣の芝生は青いけど、私以外私じゃないの。

by KOU

小学生の頃、書いている字が汚く見えて嫌いだった。
正確に言うと、嫌いという感情があったかどうかだってもう定かではないけれど
「変わりたい」という気持ちはあった。

その当時、女の子の書く丸文字がとても美しく輝いて見えた。
こういう字が書けるようになりたい!と強く思った。

そのときの僕がとった行動は、「真似」だった。
その子の文字を観察して、一所懸命に丸文字を書いた。
(今思い返すと、その子のノートを横目で凝視していて気持ち悪いクラスメイトだったかもしれない)

気が付いたら、無意識で丸文字を書くようになったし、
それは、もはや手本にしたあの子の文字ではなくオリジナルなものになった。

変わりたいと思ったときに僕はどうしていたんだろう。
と、ふと考えると、憧れの「真似」をしていた。
そして気が付いた時には、
憧れた誰かでも、今までの自分でもない、違う自分になっていた。

誰かの真似をすることは、自分が誰かのクローンになることではなくて。
結局、自分は自分でしかない、自分にしかなれないから。
真似という手助けを借りて、ただ自分が変化していくだけなんだなと。

今、僕は会話が上手ではなく、瞬発的なコミュニケーション能力が低いと感じてて。
(人の話を聞くのが特に。かつ、モゴモゴ喋りがちなのだ。)
そして、「変わりたい。」と思った。
だから、助けを借りて変化しようと試みてみる。
新書とか自己啓発本とか、ついつい、「(笑)」みたいな嘲りの目で見がちなんだけど、
モノは使いようで、これを真似するのもいいかもしれないなと思ったりした。

でも、何を「手本」するか見分けるのは重要だと強く思ってて。
小学生の頃に丸文字ではなくて、達筆な美しい文字を綺麗だと感化されて身に付いていれば・・・
とちょっと思ってる。
今でもついつい、丸文字なんだよね。笑



KOU
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